.yag_ays_history

... and stuff.

僕はインターネットで酷いものを観て「酷い!」って言いたくないし,不快なものを観て「不快だ!」って言いたくない.誰かが誰かを責めてるのを観てどちらかが悪いやつだと言いたくないし,誰かが自分の環境を卑下して哀れな自分をアピールしているのを観て同情したくない.

それは感情的な部分も大いに影響しているが,それ以前に情報を揃えて自分の意見を纏めるための手間と労力が大きいことが原因だ.自分の中できちんと意見をまとめるには,全ての情報に目を通し,意見を支持するようなデータを探し,状況が進展すればアップデートしなければいけない.一つの案件は小さくても,それが幾重にも重なれば大変な負担になる.ただ状況をありのままに受け入れて自分の感情の捌け口として消費して自分は何もしないという選択肢は無い.

ただ,自分に関係してくる内容や身近な人の話題となると当然話は別になる.関心のある議論には参加したいし,知り合いであったり尊敬や信頼のおける人が責められていたら擁護したくなる.そういう時には必ずどちらか側に付くことになるし,それなりの責任みたいなものも付随してくる.

そう考えると,インターネットのような大量の情報が玉石混淆し瞬時に消費されていく環境において,心の平穏を保ちつつ状況の処理がオーバーフローせずに生き残るためには,

  • 情報を揃えて自分の意見を纏める能力が向上して,状況を効率的に捌けるようになる
  • 入ってくる状況を,自分に関係してくる内容や身近な人の話題に限定する

しかない.



僕は下世話な人間なので耳と目を閉じ口を噤んだ人間にはなれない.ある程度のバランスを持ってインターネットを使っているつもりだけれども,それにしても最近いろんなところに綻びが出てきて,思うようにコントロールができない状況が続いている.そうなると,何もかも上手く事が運ばなくなって,ただただ辛い思いをするだけになる.

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虚空に叫びたいことは最初の一段落と最後の一文だけなので,後の文章は意味なんて無くて適当につなぎを書いただけ