.yag_ays_history

... and stuff.

自分の周りに美食家が多いせいか,近頃はお手頃な値段で美味しい料理やデザートをよく食べに行く.といっても,母親の手料理から離れ,貧しい学生生活の貧しい食生活を経て,ようやくここ2,3年くらい手の届く範囲での美味しい料理を食べてきた程度の人間だ.料理の美味しい美味しくないの判断が出来るほど僕は舌が肥えていない.それにその日の気分や周りの環境,先入観といったものによっても味の感じ方は変わってくるはずなので,もはや何を信じればいいのか分からなくなってくる.別に料理ごとにランキングを付ける必要はなくて,自分が美味しいと感じたなら美味しい,不味いと感じたなら不味いで済ませば良い話なのだが,人と料理の話をして「あそこの料理は美味しかった」「あれを食べるならあの料理屋が一番」といったことを話すには,必ず判断材料が必要になる.
そういう経験をしてきてまだまだ何事も経験が足りないのだと実感するばかりなのだが,一つだけ自信を持って人に勧められる店,勧められる理由というものがある.それが「いい意味での裏切り」である.ここで言う裏切りとは,今まで食べてきた料理とは何か違う,という意味で,中華なのにあっさりしているといったように,大枠は同じなのだが細部が何か違っていてそこに意外性があるようなことを指す.そして尚且つ美味しいことが,当然のことではあるが重要である.創作者の変な工夫によって不味くなる料理というのは山ほどある.無粋な工夫は大抵規範を外れることに繋がるのでバランスが崩れて大枠自体を損なってしまうのだが,その完成されたかと思える状態に何か加えても料理の均衡が保たれるような,そんな工夫が意外性を生むのだと思う.それはまさに今までの自分の食の概念を広げてくれる良い料理に出会ったことになる.
というように,美味しさの僅かな違いは感じ取りにくくても,食べた時の意外性は非常に分かりやすい判断材料だと思う.こういう料理というのはそう簡単に見つけられるものではないのでレパートリーが増やせず人に勧め辛いという問題があるが,まあこういう店を見つけた時には一人で足繁く通ったりここぞという時に人を連れて行ったりすればいいだろう.
まあ,そんな感じで美味しさについてあれこれ考えたり理屈をこねながら日々飯を食っておりますので,はたからみると余り美味しそうに食べている風に見えないかもしれない.ですが,美味しいものを食べるのは好きなので,ぜひ誰か美味しいお店に連れて行ってください.