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映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/05/09
- メディア: 文庫
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「映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)」読書メモ
通過儀礼 = 厳しい試練 = 成熟の過程
通過儀礼の3ステップ
- 分離:それまでの状態に別れを告げる
- 初期条件として未熟であることが必要
- 移行:厳しい試練がある(中間段階)
- 中間段階は時間的制約がある
- 結合(統合):新しい状態に生まれ変わる
- 立場などの客観的な状態は変化しない
通過儀礼の象徴
- 敷居
- オランダ人民俗学者ヴァン・ジュネップの部屋の喩え
- 敷居から外に出てまた敷居の中に戻る
- 分離の段階で通った敷居の門は結合の際に使わない(出口と入り口は異なる必要がある)
通過儀礼を果たしていない魔女の宅急便
- キキの通過儀礼
- 旅
- 厳しい試練
- ホウキで飛べなくなる事
- 好意で運んだパンを喜んでもらえなかった事がきっかけ
- ホウキで飛べなくなる事
感想
軽く流し読みした程度だが,全体を通してかなり面白かった.少し強引に持って行きすぎなところもあるけれども,この本で取り上げられている幾つかの映画には確実に当てはまるだろうと思う.通過儀礼というプロセスを映画に当てはめてみてストーリーを考察するというのは,映画の本質を見抜くというよりも,どとらかというと持ち物検査みたいな感じでストーリーに必要な要素や小道具がきちんと配置されているか,そしてそれが機能しているかといった印象を受ける.粗探しと言えば聞こえが悪いけれども,起承転結を踏襲していない物語が無機質に感じるように,通過儀礼のプロセスもまた限られた時間の中で物語の収まりを良くして映画的なカタルシスに持っていくための大事な要素だと思う.
著者がこの本のなかで通過儀礼を果たしていないと述べている魔女の宅急便の下りはかなり納得のいく説明だったので,じゃあどういうプロットを追加すれば通過儀礼をきちんと演出できるかと考えてみた.通過儀礼を果たさないということは,すなわち試練を乗り越えていないということになる.となると,やはり試練を乗り越えた瞬間の描写と,その後の心的変化が必要だろう.キキに課せられた試練は上で書いたように,自分が好意で運んだおばあさんのパイがその孫に喜んでもらえず結果としておばあさんへの好意を無駄にしてしまったということだった(ちょっと解釈しきれていない部分もある).それを踏まえてストーリーに差し込むべきプロットを考えてみると,やはりおばあさんに認められることが必要だろう.例えば,おばあさんの家で飛行船墜落のTVを見ているときに,おばあさんにパン運びと孫の反応の一部始終を伝えて,パイは無事に運ぶことは出来たが喜んでもらえなかったとキキが告白する.モノを運ぶことは出来ても心を運ぶことは出来ないなら運送屋として飛ぶ意味は無い,とキキは思っているのかもしれない.それに対し,おばあさんが「孫に喜んでもらえなかったとしても,あなたのおかげで孫に思いを伝える事ができた.あなたが飛ぶことには意義がある.あなたが飛べば飛行船墜落で危険な状態の人も救えるかもしれない」とでも言ってもらえれば,キキは思いを改めてもう一度飛ぶことが出来るかもしれない.
といった感じで勝手に妄想してみたが,この本で述べられていた魔女の宅急便に足りない要素は他にも幾つかあって,キキの未熟さと母親の成熟さの対比がなくゴールが見えないといったことなどがあるが,まあその辺は共通認識で何とか補えないことは無いかと思う.まあ最終的な結論としては,この映画はキキのパンツだけ見ておけば良い,という感じで後味の悪いシメとする.